映画 | チョコレート

原題:Monster’s Ball
製作国:アメリカ
製作年:2001年
アメリカ南部の刑務所で死刑囚棟の看守を長年務めてきたハンク。そんなハンクの息子ソニーもまたハンクと同じく看守の職に就いていた。そんなある日、職務中に粗相をしたソニーをハンクは厳しく叱責し、それがきっかけとなり二人は激しく言い争う。激昂したソニーは取り出した拳銃の銃口をハンクに向け「俺が憎いだろう?」とハンクに詰め寄る。ハンクはその問いに思わず首を縦に振ってしまうのだった…。

↓↓以下ネタバレが含まれている場合がありますのでご注意ください。↓↓
普段、気軽に鑑賞できるホラー映画の方で慣れてしまっているというのもあって、映画で上映時間1時間50分というとなんだか長いと感じてしまう自分ですが、この映画は最初から最後まで気がそれることもなく、1時間50分があっという間に感じました。どちらかというと淡々としたストーリー展開で、ともすると退屈になりそうな内容ですが、強く引き込まれるものがあったんでしょうね。

この映画、筋だけを見るとかなり重たい内容なのですが、実際に観てみるとそれほど重たい感じがしないのが何とも不思議。
説明や心理描写が極めて少ない作りのためというのもあると思いますが、個人的にはこの物語が、主人公ハンクの“現実逃避”の物語だからではないだろうかとも思いました。
この作品のテーマ、これは素直に受け取ると「息子の死をきっかけにこれまでの愚かな自分を省みて新しい人生を歩み始める」といった希望のあるものなのかもしれませんが、自分にはどうしても物語全体(主にハンクですが)から不健全さを感じるというか、ものすごく退廃的なものを感じて仕方がなかったです。(映画的に良い意味で言っています。)
前半と後半でハンクの人格が変わりすぎているのに違和感があるといった主旨のレビューをネットでちょこちょこ目にしましたが、このあたりについても、息子の死をきっかけにハンクの心が壊れてしまったのだと解釈するとなんとなく腑に落ちる気がします。
ソニーの死後、刑務官の仕事をあっさりと辞め、(父親の影響とはいえ)それまで邪険に扱っていた黒人の女性との甘い恋愛に一気に溺れ、急に思い立って購入したお店に彼女の名前を付けたり、何のうしろめたさを感じる様子もなく父親を施設へ放り込んだりと、やっていることが極端すぎてある意味病的で、とてもまともな精神ではないように見えてしまうんですよね。
息子の死を受け入れることができず、現実から目を背けて、自分を取り巻くすべての煩わしいものを黙殺して生きているように見えてしまいます。
そう考えると、現実逃避の象徴であるレティシアとの関係についても、激しいセックスシーンにしろ、ベッドで愛を語り合うシーンにしろ、ラスト階段で並んでアイスクリームを食べるシーンにしろ、すべての二人のシーンにおいて、二人を取り巻く様々な人やその想いなんかから目を背けて遠ざけて、目の前の快楽にただ溺れているだけのように見えて、なんというか痛ましさのようなものを感じずにはいられませんでした。
加えて、この映画の評価をひときわ高いものにしているであろう肝心のラストシーンについても、上記のような解釈で観ると、あのレティシアの最後の表情は、今までかろうじて心のバランスを保っていたレティシアが、ハンクと一緒に壊れていく様を表しているんじゃないのかなぁとか思ってしまうわけです。
この世の辛いこと苦しいこと煩わしいことすべてを黙殺し、ただただ流れに身を任せて、壊れた二人が二人の世界の中だけで幸せを感じて生きてゆく、といったやるせないラストだったんじゃないのかなぁと。自分はそんな風に感じました。
まぁただ、自分はこの映画を観ていて自然とそういう解釈になりましたが、制作者の意図としてはたぶん違うんだろうなぁ。
終盤ハンクの父親を施設に放り込むシーンなんかも、結局父親がクズすぎて、視聴者にカタルシスを感じさせる作りになってしまっているし、もし自分の解釈のような意図で作っているのだとしたら、あそこは鑑賞者にもっと後ろめたさや不快感を覚えさせる作りにするでしょうしね。

冒頭でも書きましたが、この映画は説明や心理描写が少なく、本当にどうとでも取れるつくりになっていて、またそのふり幅の大きさがとても面白いですよね。
素直に解釈すればとても単純でハッピーな映画にもなりますし、自分のように穿った解釈をすれば果てしなく不毛な映画にもなってしまいます。(自分はそちらの方が好みですが…。)
ネットで色々な人のレビューを読んでいるだけでも、本当に千差万別の感じ方や解釈があるんだなぁとしみじみ感じました。

「チョコレート」のスタッフ&キャスト
監督:マーク・フォースター
脚本:ミロ・アディカ、ウィル・ロコス
出演:ハル・ベリー、ビリー・ボブ・ソーントン、ヒース・レジャー、ピーター・ボイル