原題:Guests
著者:マイケル・ドリス
発行:1995年
毎年楽しみにしていた収穫祭の食事会に、今年は見ず知らずの人たちを招待することになった。大反対するモスに対して、両親はモスを子供扱いするばかりで取り合おうともしない。ふてくされ家を飛び出したモスの足は森へ向かっていた。部族の男であれば必ず体験しなければならない「森の時間」。ひとり、何の準備もなく森へ分け入ったモスがそこで見たものとは…。
はじめに
前作「朝の少女」と比べると、こちらの作品はガラッと雰囲気が違っていますね。
地に足がついているというかなんというか、しっかり小説っぽい小説になっているといった印象で、個人的にはとても読みやすかったです。内容としても、主人公である少年モスにしっかり焦点が当たっていて、モスの心の成長がじっくり丹念に描かれているので、読む方としても何を汲み取るべきかがとても分かり易く、感情移入も大変しやすいため、余計なことを考えず率直に楽しむことができる良い作品になっているのではないかと思いました。
子供に勧めるにあたって
子供に勧めるにあたって、何も躊躇をする点のない作品かと思います。
前作「朝の少女」のような刺激の強すぎる展開なども皆無で、物語としても非常にバランスよく綺麗にまとまっている作品なので、是非お勧めしたいと思える作品でした。
相変わらず淡々とした作風というか、目に見えて分かり易い派手な起承転結のある物語ではないので、その点は子供が読んでどう感じるのかがちょっと心配ですが、モスが森に入ってからの展開などはちょっとした冒険譚のような面白みもありますし、トラブルとの会話のくだりなどは、子供の視点で見たときに共感できるものが大いにあるように感じますので、案外小さい子でも楽しんで読むことができるのではないかとも思いました。
↓↓以下ネタバレを含む感想です。ご注意ください。↓↓
両親との喧嘩
年に一度の収穫祭の食事会に、父親が勝手に見知らぬ人達を招待したことにモスは腹を立てて、冒頭からモスは両親と口論を繰り広げます。
モスの主張としては「見ず知らずの人達と一緒では落ち着かないし、それでは楽しい食事会が台無しになってしまう」といったもので、そのモスの猛抗議に対して、両親は「食事会に飢えた人たちを招待するのは当然のこと」と言い、その当たり前のことを理解できないモスをやれやれといった感じでまともに取り合いません。
モスと両親の心がすれ違い、本当であればあまり気持ちの良いシーンではないように思われますが、実際にはそれほどイヤな感じがしません。
まぁこれは、自分が大人だからそう感じるだけなのかもしれませんが、モスと両親のやり取りが、喧嘩をしていながらも、お互いに対する愛情を否定しきっていないところが、そう感じさせているのかなと思います。
結局モスが怒っていることにしても、要は「家族で楽しく食事会をしたい」ということを言っているわけですし、モスの鼻筋を親指でなぞろうとする父親のしぐさや、モスとの言い合いから唄を歌いだす母親の様子などからは、モスと言い争いなんか本当はしたくないんだ、といった両親の温かい気持ちが見えてくる気がしますし、この喧嘩が、愛情のある関係性ありきの喧嘩であるというのがちゃんと読者に伝わるように描かれているところが、とても良いなと感じました。
森の時間
両親と喧嘩をして家を飛び出したモスは森へ向かいます。
森へ入った直後は少々取り乱したモスでしたが、そのあと冷静になって「戻るのでもなく、立ち止まるのでもなく、前に進もう」という思いに至ります。
少しカッコよすぎかなとも、ひねくれ者の自分などは思ってしまいますが、まぁこれについては、何の装備も持たずに子供一人で森へ入ることがどれほどの危険を伴うものなのか、モス自身が正確に理解できていなかったからこそ出てきた考えということなのでしょう。
ただ、このある意味無謀な決意に「子供扱いされたくない!大人になりたい!」と強く思うモスのひたむきな気持ちが感じられてグッときたのも事実です。
森の時間の終わりの「上から見下ろす森は、まるで違う世界だった」という一文は、森の時間を通してモスが得たもの、その心の成長が感覚的に伝わってくる感慨深い一文でした。
ハリネズミとの対話
「森の時間」のさなかに遭遇したハリネズミとの対話については、それが結局は何であったのか作中明かされていません。
本当に森に棲むハリネズミと会話をしていたのか、それとももっと大きな神秘的な存在だったのか、はたまたモス自身の心の声との対話だったのか、そこははっきりとは分かりませんが、この対話をきっかけに、モスは物事を客観的に見ることの大切さに気づきます。
それはつまり、これまで自分中心でしか物事を見てこなかったモスが、自身を客観的に見つめ、周りの人たちを客観的に見ることによって、自分自身がどういう人間かを理解し、他人の心情や感情に思いを至らせ、人を思いやる気持ちを持つことの大切さに気付いたということです。
森に入ったばかりの頃にモスが「クマやオオカミ、ワシやタカなどの大きな動物が突然姿を現して道案内してくれる」というような童話的な話を思い出すシーンがありますが、これを受けて、モスの心を正しい方向へ導く動物として、ハリネズミが登場したということなのでしょう。
それにしても、そのモスを導く動物が、クマやオオカミ、ワシやタカなどの大きくて立派でカッコいい動物ではなく、小さなハリネズミであったというところが、何とも可愛らしくて良いですよね。
トラブルとの対話
モスが森へ入る前と、森から戻った後、トラブルという女の子と出会い、様々な話をします。
最初はぎこちなかった二人の間に、いつの間にか信頼関係のようなものが生まれてゆく過程は読んでいてとても気持ち良かったです。
そして、このトラブルとの対話は、この物語においてもそうですが、そもそも子供が成長してゆく過程において、とても重要なことを言っているような気がします。
モスとトラブルは、お互い性別はもちろん、性格も、境遇も、抱えている悩みもまったく異なりますが、お互いがお互いを知ろうと対話を重ねる中で、自身の考え方や価値観をさらけ出し、最後にはお互いが共鳴しあいます。
これによってこの物語が、主人公モスの考え方や価値観を単に“間違ったこと”と否定して矯正するという物語ではなく、それも一人の人間の考え方や価値観であると肯定したうえで、そこからの成長を見つめてゆくという物語になっているような気がします。
このエピソードがあるのとないのとでは、物語の方向性が180度違ってくるであろう、とても重要なエピソードなのではないかと思いました。
大人たちとモス
この作品ではモスに関わる大人として、(主に)父親と母親とおじいちゃんが登場します。
これについては、自分がこの作品の中でも一番好きだった部分なのですが、彼らがみんな“完璧な大人”として描かれていなかったところが、とても良かったです。
彼らは年齢的には十分な大人であり、子供であるモスを見守り導く立場ではありますが、それぞれどこか弱点を持っていて、森の時間を経て少し成長したモスが逆に彼らを思いやっているような雰囲気もあって、その絶妙な関係性がとても素敵だと思いましたし、読んでいて大変心地良かったところでした。
最後「僕はどんな大人になったらいいの?」というモスの質問に対して、おじいちゃんが「お前がどんな大人になるかみんな楽しみにしているんだよ」と答えるくだりが本当に素晴らしかった。
モスが周りの大人たちにこれほど温かく見守られているということ、掛け値なしのたくさんの愛情に包まれているということがひしひしと伝わってきて、この先、そんな温かさの中でモスが成長して大人になってゆく姿を想像すると、こちらまでなんだか嬉しい気持ちがしてきました。