原題:The Shack
製作国:アメリカ
製作年:2017年
愛する家族と共に幸せな日々を送っていたマックの人生は、最愛の末娘ミッシーがキャンプ中に誘拐されてしまったことにより一変する。捜索の末、森の中の廃小屋からミッシーのものと思われる血に染まったドレスが発見され、警察が長年追い続ける連続殺人犯の凶行であることが明らかとなったものの、その後、彼女の遺体が発見されることはついにはなかった。それから数年後、未だ愛娘を失った悲しみから抜け出せないでいたマックの元へ「あの小屋へ来い」と書かれた奇妙な手紙が届く…。
↓↓以下ネタバレが含まれている場合がありますのでご注意ください。↓↓
2017年の3月にアメリカ公開となった本作。最愛の娘を失い深い悲しみと絶望の淵へ沈む主人公マックが事件から数年後、因縁の廃小屋で三位一体の神と出会い、その深い愛に触れ身も心も救われてゆくという物語です。
キリスト教になじみのない日本ではあまり受けなさそうだし、日本公開はないかなぁと思いアメリカAmazonでDVDをポチったところ、ちょうどDVDが手元に届くくらいのタイミングで早々に日本公開が決定したとの情報が流れて愕然としましたが、まぁ日本公開が2017年9月9日とまだまだ先の話なので、ちょっと早めに観られるんだしまぁいいかと自分を慰めつつ今回鑑賞しました。
なお、自分はキリスト教には縁もゆかりもなく、物語の大半を占める神様からマックへの教義的なお話については全然ピンときませんでしたが、そういった自分を含め、同じくキリスト教になじみのない人であっても“一人の男の絶望と再生の物語”として普通に楽しめる内容になっているかと思います。
あと、海外版DVDなので当然日本語はなく、英語音声・英語字幕での鑑賞となり、英語はからっきしな自分ですが、原作をすでに読んでいて内容は大体把握していたので、割と問題なく楽しむことができました。
さて、映画の内容についてですが、ほぼほぼ原作の内容に忠実に作られている印象でした。
全編会話劇の映画ではありますが、映像がとても綺麗で、神様とマックの出会いの場としての幻想的な雰囲気が良く出ていたと思いますし、今作でハリウッドデビューとなるすみれさんのサラユー役も(原作を読んで抱いたイメージとはちょっと違っていましたが)なかなか味があって良かったように思います。
ただ、今回は原作を日本語で読み、英語音声・英語字幕で映画を観ているため、どうしても気持ちが原作に寄ってしまい、原作に比べて映画はちょっと物足りない…という気持ちになってしまっているのも事実です。
普段から、映画のレビューで「原作と比べてどうこう」を言うのはナンセンスと思ってはいるのですが、今回は流石に上のような理由で気持ちが原作に傾いてしまっているので、映画の内容だけで書けることも少ないし、今回はあえてその「原作と比べてどうこう」を書いてしまおうかと思います。不快に思われる方、ごめんなさい。
原作を読んだ限りではこの作品は、読者(鑑賞者)がキリスト教徒でもない限り、上で書いたように“一人の男の絶望と再生の物語”として、この作品を楽しむことになると思います。
その点で言えば、原作小説はとにかくずば抜けて素晴らしい作品でした。
何が素晴らしいかというと、主題となるマックの“絶望”と“再生”をとにかく丹念に描いているところですね。
こうさらっと書いてしまうといまいちその凄さが伝わらない感じになってしまうので、興味のある方は是非とも一度原作を読んでいただきたいと思うのですが、まぁとにかくその内容は濃密でした。
物語の前半では、マックの人となりの描写から始まって、家族の幸せな時間が描かれ、そこからいかにしてマックが絶望の淵へ沈んでいったかが描かれているわけですが、その描写は本当に容赦がありませんでした。
極端に刺激の強い描写があるというわけではないですが、ひたすら淡々と、そしてじっくりと事の顛末の一部始終が描かれ、ミッシーを失ったマックの絶望的な心情をイヤというほど追体験させられます。
そしてそこから物語の後半でミッシーを失った“大いなる嘆き”からマックが再生してゆく過程が描かれてゆくわけですが、これがまた本当に凄かった。
このマックの再生の過程がこの物語のキモであるわけですが、なんでしょう、まさに“壮絶”と表現するのがふさわしいと思われるほど容赦なくマックの傷口をえぐりぬき、読んでいるこちらが「そこまでやるか!?」と痛々しく思ってしまう程マックの心の中へ中へと切り込んでゆくやり取りは、読んでいて胃がキリキリとしてくるほど痛烈で、非常に心を揺さぶられるものがありました。
またその過程で、最初は固く心を閉ざしていたマックが、神様の前では子供のようになって駄々をこねたり、甘えたり、怒ったり、泣いたり、笑ったりと様々な感情をめまぐるしく見せていて、そんなところも人間味があたたかく感じられてとても良かったです。
この作品の良さは、このようにマックの“絶望”と“再生”をとにかく丹念に描いているところ、これに尽きると思いますし、もちろん小説という媒体だからこそ表現できうるものなので、当然2時間という短い時間で全てを表現しなければいけない映画ではこの良さを表現することは不可能なわけですし、それはもう致し方ない。
映画では原作の内容をしっかりなぞってはいましたが、やはりそれだけという印象が強く、当たり前のことながらすべてが圧倒的に描き足りていないため、マックの“絶望”と“再生”の物語としては物足りなく感じてしまうのは当然のことでしょう。うーむ。
ちなみに、尺の関係で描けない部分についてはまぁ仕方がないとしても、それが理由ではないであろう非常に勿体ないと感じた点が一つだけありました。
それは、まだマックが神の小屋へたどり着いて程ないころ、イエスとサラユーがそれぞれ行っていた不思議な作業を、わけも分からないまま手伝わされるというシーン。
最初そのシーンを読んだ時にはマックとイエス、マックとサラユーの会話にのみ意識が向くように描かれているため、それぞれイエスとサラユーがなんのためにその作業を行っているのかはピンと来なかったんですが、物語の締めに向かうとても重要な伏線となっていて、ラストでそれが何であったのか分かった時、それこそ全身に鳥肌が立つほど衝撃を受けたシーンだったんですが、これを映画ではかなりさらっと終わらせていました。
監督はなぜこのシーンをもっと大切なシーンとして扱わなかったんだろうか。もちろん原作小説を読んではいるんでしょうけど、ラストのあのシーンで何も感じなかったのかな?これだけは本当に良く分かりませんでした。
あとそういえば、神様がしるしを付けておいてくれたミッシーの遺体の在り処を、現実世界へ戻った後て見つけるというくだりですが、これも(少なくとも映像では)端折られていたような気がします。これもなぜなんだろう。
ところで、こんな複雑で繊細な感情表現が必要な主人公・マックを演じたサムの演技についてですが、まぁこれは想像していた通り、サムには少々荷が重かったようでした。
何だろう、サムの演技ってやたら表情がこわばっている印象で、豊かな感情表現というものが苦手っぽい。
まぁ自分としてはサムが主演の映画はなんでも有り難いので、演技が下手なことも最初から分かっていることだし別段気にもなりませんが、そもそも、こんなにも豊かな感情表現が必要な作品の主人公になぜサムが起用されたのか。これが一番の謎。
「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」のスタッフ&キャスト
監督:スチュアート・ヘイゼルダイン
脚本:ジョン・フスコ
原作:ウィリアム・ポール・ヤング
出演:サム・ワーシントン、オクタヴィア・スペンサー、アヴラハム・アヴィヴ・アラッシュ、すみれ