原題:SUBMARINO
製作国:デンマーク、スウェーデン
製作年:2010年
幼い弟の突然の死によって心に傷を負った兄弟二人は、その後別々の道を歩み、それぞれの苦悩を抱え暮らしていた。そんなある日、母親の死をきっかけに二人は再会を果たし、兄ニックは母親の遺産をすべて譲ると弟に持ち掛ける…。
↓↓以下ネタバレが含まれている場合がありますのでご注意ください。↓↓
「SUBMARINO」とは、囚人を逆さ吊りにして水や糞尿などで満たされた容器の中へ頭を突っ込んで窒息させるという、世界の刑務所で共通の拷問方法とのこと。
この作品では、登場人物たちが暴力、ドラッグ、アルコール、セックスなどに溺れ、沈み、窒息しそうな様の暗喩としてこのタイトルを用いているそうです。
さてこの映画、タイトルは「SUBMARINO」と、原作のタイトルをそのまま採用しており、事前に上記のトリビアを目にしていたこともあり、これはどれほどの息苦しいドラマを見せてくれるのかと、無用な期待感を持って鑑賞してしまいまして、本来無用な肩透かしを食らうという羽目になりました。
この監督はこの作品で、そもそも“息苦しさ”を描くことにこだわってはいないようです。登場人物たちは確かに“息苦しさ”の中で生きていますが、その“息苦しさ”によって生まれた結果はあっても、その“息苦しさ”の根源を直接描写するようなことはしていないので、つまり鑑賞者にその“息苦しさ”を追体験させるような作りにはしていないわけですね。自分はまさにこの“息苦しさ”の追体験を期待して観てしまったので、結果その点については肩透かしを食らったということになります。
そして、そういう描かない部分が多いため、当然のことながら鑑賞後いろいろと疑問が残りましたので、何かヒントはないものかと原作も併せて読んでみることにしました。
原作はまぁとにかく濃厚。原作と映画を比較するのであれば、断然原作の方が好みですが、そもそも小説である原作の濃厚さをそのまま映画で表現するのは不可能なので、うわずみを掬いとって映像作品に仕上げたという点で見れば、この映画はやっぱり巧く作られている方なのかなぁと。
映画を観たあと原作を読んで、特に気になった点が、この映画は逃げ道をたくさん作ることによって、息苦しくなり過ぎないよう程よいバランスを保って作られているという点でしょうか。
例えば、兄弟の母親の描写。映画ではアル中のひどい母親として冒頭ちょろっと登場するだけでしたので、観ている側としてはこの母親を悪者としてとらえ、結果ニックと弟に同情を感じさせる作りになっています。
しかし、この母親についても原作ではしっかり描かれていて、ニックと弟を施設から引き取って三人で幸せな家庭を築いていこうとする姿や、新しい恋人ができニック達ともども楽しく過ごす姿、その恋人に捨てられてから酒におぼれ自暴自棄になっていった姿や、さらには末の弟が亡くなったときにショックを受け嘆き悲しむ姿なんかも描写されています。末の弟が亡くなった後も、三人でまた家族として生きていこうとする姿や、マーティンを伴って入院した母親を見舞うニックと弟の描写なんかもあります。
つまり、母親もニックや弟と同じで、自分ではどうすることもできない息苦しさ、苦悩を抱えて生きていた普通の人だったということですね。確かにニックと弟の人生を息苦しいものにした要因の一つではあるものの、実際にはそれを「この母親のせい」とは言い切ることができないやりきれなさが本当はあるはずなんです。
映画は、こういった逃げ道をたくさん作ることによって、実に巧妙にニックと弟に同情を感じさせる作りになっています。ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思うくらい。
まぁこれはこれで、一つの作品として良くできてるとは思いますし、個人的にも観て良かったと思える水準の作品ではあったんですが、ただ、そのような作りにするのであれば、タイトルも「SUBMARINO」ではなく、もっと監督自身の描こうとしたものに即したタイトルにすれば良かったのになぁとは思っちゃいますよね。たかだかタイトル一つに固執しすぎでしょうか。まぁしすぎなんでしょうね。
あとそうそう、そういえば、イヴァンがソフィーを扼殺して、その罪をニックがかぶって黙秘を続けるくだり。これ、映画を観ただけだといまいちピンと来なかったんですよね。なんでニックは黙秘を続けたんだろうって。
もちろん妄想たくましくなんとでも理由をつけることはできますが、自分そういう「あとは鑑賞者に託します」系があまり好きではないので、何か手掛かりになる描写はないものかと色々思い巡らしたんですが、この点については原作を読んでなんとなく分かった気がしました。
ニックとイヴァンの関係は、映画でも原作でも“友人”として描かれていますが、原作ではどうも含みのある書き方をしていて、ニックの弟に息子マーティンという守るべき存在があるのと対比させ、どうやらニックにとってはイヴァンがそういう存在であったような描き方をしているんですよね。
イヴァンへのニックの関わり方は、映画では大変あっさりしたものでしたが、原作ではただの友人関係とは思えない世話の焼きようで、少し知能の弱いホームレスのイヴァンに対して、ニックは無意識に(父親とは言わないまでも)保護者としての意識を感じていたのではないかと読み取れるんです。
そう考えると、ニックが黙秘を続けた心情もなんとなく分かる気がしますし、ニックの弟が自殺した(息子マーティンの存在を放棄した)と聞かされた時の彼のやりきれない複雑な心境も理解できるような気がしませんか。いかがでしょうか。
「光のほうへ」のスタッフ&キャスト
監督:トマス・ヴィンターベア
脚本:トビアス・リンホルム、トマス・ヴィンターベア
原作:ヨナス・T・ベングトソン
出演:ヤコブ・セーダーグレン、ペーター・プラウボー、モーテン・ローセ、パトリシア・シューマン