原題:Juste la fin du monde (英:It’s Only the End of the World)
製作国:カナダ、フランス
製作年:2016年
自分の死期が近づいていることを家族に伝えるため、ルイは12年ぶりに帰郷した。久しぶりのルイの帰郷を喜ぶ家族を目の前にし、帰郷した本当の理由をなかなか言い出せずにいたルイだったが、そんなルイの気持ちを知ってか知らずか、徐々にそれぞれの中に鬱屈していた感情が頭をもたげ始め、幸せであるはずだった食卓の空気は次第に張り詰めたものになってゆくのだった…。
↓↓以下ネタバレが含まれている場合がありますのでご注意ください。↓↓
昨今、日本でも徐々にその人気が高まりつつある“美しき天才”グザヴィエ・ドラン監督。
なんだかオシャレそうな雰囲気と、やたら心惹かれる素敵なタイトルが公開前から気になっていた今作でしたが、今回ようやく観ることができました。
いやぁ、映像や音楽なんかがとってもハイセンスな感じで良いですね。観ていてとても心地が良かったですし、その美しい世界観にはグッと引き付けられるものがありました。
ただ、その内容はというと、かなかに尖ったものになっておりまして、あまり一般受けはしなさそうな内容でしたね。
全編ほぼ会話のみで構成されていて、主人公であるルイが家族と様々な会話を交わすことでストーリーが進行してゆくわけですが、まぁどの会話もいまいち噛み合わず、とても居心地の悪い歯がゆさがあるだけでなく、さらに追い打ちをかけるように、ルイの兄・アントワーヌが何かと場の空気を険悪にする発言を繰り返し、ルイと家族が歩み寄ろうとするささやかな努力すらもすべて台無しにしてしまうという、何とも救いのない展開が延々と続くという、人によってはそのクドさに辟易してしまうのではないかと思えるような重苦しい内容でした。
ただ、一見すると何の救いのなさそうな絶望的な物語見えるわけですが、個人的な感想としては、とても暖かい物語だという印象でした。
この物語は、ルイが自らの死を目前にし、12年前に捨てた(も同然の)家族の元を訪れ、改めて自分の家族とその繋がり(愛情)を見つめ直そうとする過程を描いたもの、とそんなふうに見ることができますが、つまるところ、ルイにとって12年ぶりに再確認した家族というものが、彼の人生においてどのようなものであったのか、最終的にそれが彼の中でどのような結論に達したのか、このあたりがこの物語のキーポイントのような気がします。
そして、その結論が示されているのは当然最後の最後ラストシーンで、ということになりますね。
そもそもルイは自分の気持ちや感性について、家族の誰にも理解できないことをハナから当然のことと認識していて、とっくのとうに理解されること自体を諦めているふうに見えます。
まぁそれがあったからこそ、12年前に家を飛び出したというのもあるのでしょうけど、そんなルイも自身の死を目の前にして、自らの人生を振り返るため意を決して12年ぶりに帰郷してみたものの、肝心の家族は12年前に家を出たころと何ら変わっておらず、結局会話も噛み合わず、心はすれ違い、ルイが帰郷前に思い描いていた美しいものを見出すことはできなかったということですね。
そういった過程を受けたどり着いたあのラストシーンは、そういったルイと家族の関係性、心の距離、居心地の悪さ、そういったものが“どうすることもできないもの”であることをルイが再認識し、それが自分の家族なんだと、これ以上にも以下にもなりえない自分の家族というものなんだと、ルイの中で諦観の念が確固たるものになったシーンだったように思います。
つまり、この“諦観の念が確固たるものになった”というのがミソなわけですね。
上手くゆかない全てのものを、それはそういうものなんだと諦めることは、これまで負と感じていたものが負ではなくなるということだと思います。
そして、このラストシーンのルイの場合も、これまで家族に求めていたもの、求めるがゆえに生まれていた負の感情などが、それらを全て諦めることによって全て無くなり、ここに来てようやく“これが自分の家族なんだ”と受け入れることができた瞬間だったのではないかと感じました。
最後のシーンでルイは家を去る直前にふっと笑みを浮かべます。
あの笑みは確かに苦々しさを含んだ表情ではあったと思いますが、同時に何かしら達観というか、満ち足りた、ある種幸福感にも似た感情をも含んだ表情だったように思えてなりません。
そして、それと併せて触れなくてはいけないのが、あの鳩時計から飛び出した鳥についてですね。
あの鳥が羽ばたきもがいて命尽きる描写が何を暗示していたのか。
これについても明確な答えはなく様々な解釈ができそうですが、上で書いたラストシーンのポジティブな解釈と重なって、この鳥の暗示するものについても自分はポジティブな印象を受けました。
これは少なくとも鳥=ルイとして見立てられているというのは間違いなさそうですよね。
鳥は外へ出ようと一生懸命羽ばたきもがきますが、これはそのまま、居心地の悪い家を飛び出して自由になろうともがいていたルイの姿にそのまま重なるような気がします。
そして、鳥は家の“外”ではなく、家の“中”でその命を終えるわけです。
これはつまり、今回の帰郷によって自分と家族との繋がりを再認識し、初めて家族を受け入れることができたルイが、その身はどこで朽ちようとも、心(精神)は家族の元に帰ることができたということを、そして、これからやってくる死を家族のもと(家の中)で迎えることができる、ということを暗示している描写だったのではないかと感じました。
ちなみに、あの鳥のシーンがポジティブな暗示であるということについては、鳥の亡骸がふかふかと柔らかく温かそうなカーペットの上に横たわっていたという点が、そう感じた要因のひとつだったようにも思います。
もし仮にこの鳥が命を終える描写をネガティブなものとして表現しようとしたのであれば、石畳か何かいかにも冷たそうなところへ鳥の亡骸を置いた方が効果的のように思われますので、わざわざあのふかふかとしたカーペットの上に鳥の亡骸を置いたということは、やはりそういった温かみを感じさせようとする意図があったのではないかと思いました。
さてさて、こんな感じでつらつらと書きなぐってみましたが、この映画、本当に色々なことを考えさせられるなかなか厄介な作品でした。
上で書いたことの他にも色々と考えたこと、書きたかったことがまだまだたくさんあったのですが、あまりにも頭の中がごちゃごちゃとしてしまって、文才の無い自分にはそれらをまとめて文字にすることが困難でしたので、潔く諦めて今回はこの辺にしておこうかなと思います。
取り敢えず一番書きたかったことは何となく書けたような気がしますが、あまりうまく伝わっていなかったらごめんなさい。
宜しければこの記事を読んでいただいた感想などをいただけると大変嬉しいです。
「たかが世界の終わり」のスタッフ&キャスト
監督:グザヴィエ・ドラン
脚本:グザヴィエ・ドラン
出演:ギャスパー・ウリエル、ナタリー・バイ、ヴァンサン・カッセル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤール