原題:When the Wind Blows
著者:レイモンド・ブリッグズ
発行:1982年
イギリスの片田舎で穏やかな生活をおくる老夫婦ジムとヒルダ。世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっており、ある日、ついに戦争勃発の知らせがラジオから流れる。政府の発行したパンフレットに従い身を守るための準備を始めるジムとヒルダだったが、ほどなくしてラジオが告げたのは、無情にも核ミサイルがイギリスに向けて発射されたとの知らせだった。
はじめに
こちらの作品、児童文学(小説)ではなく漫画作品ですが、先ごろ、アニメ映画版を観る機会がありまして、せっかくなので原作も読んでみようと思い手に取りました。
核戦争に巻き込まれた片田舎に住む老夫婦の顛末を描いた作品で、終盤にかけて大変痛ましく悲惨な描写がされており、ショッキングな内容の作品ではありますが、どちらかというと真正面からの“批判”というテイストではなく、あくまで“風刺”にとどめているあたりが、この作品をより印象的なものにしているような気がします。
発表が1982年と古い作品ではありますが、自分が子供の頃に図書館などでこの作品を見かけた記憶はなく、結果この歳まで読む機会がなかったわけですが、絵本の体裁をとっているとはいえ、大人が読んでも十分に心に刺さる作品ですので、年齢問わず一読の価値のある作品だと思いました。
子供に勧めるにあたって
とにかく痛ましい内容で、場合によってはトラウマを植え付けてしまう場合もありますので、個人的には中学生以上で、さらに“戦争について学ぶ”ということを前提のもとお勧めするのがいいのではないかと思います。
一応漫画作品ではあるので幼い子供向けのものかとも思いがちですが、内容としては中高生が読んでも十分歯ごたえのある内容だと思いますし、そのぐらいの年代の方がよりこの作品が読者に投げかけているメッセージを理解して受け止めることができるのではないかなぁと思います。
↓↓以下ネタバレを含む感想です。ご注意ください。↓↓
無知で能天気なジムとヒルダ
主人公の老夫婦であるジムとヒルダは、作中最初から最後まで一貫して無知で能天気なキャラクターとして描かれています。
どんなに危機的な状況になろうとも、この無知で能天気なキャラクターを貫いているおかげで、特に終盤にかけては物語を大変不気味な印象にしています。
作者はなぜこの二人をこのようなキャラクターにしたのでしょうか。
「無知、無関心であることの怖さ、愚かさ」を読者に訴えたかったのだ、という見方もありますが、実際はどうなのでしょうか。
きっとそういった側面もあるのかとは思いますが、個人的には、作者がジムとヒルダを“愚者”として描いているとは思えませんし、思いたくないです。
ではなぜ二人はあのようなキャラクターとして描かれているのか。これはただ単純に作者がこの作品で描こうとしているものが、「人間」ではなく「戦争」であったから、ということなのだと思います。
似たような作品だと壺井栄の「二十四の瞳」でしょうか。「二十四の瞳」が“人間”そのものというよりも「未来ある子供たちの人生を狂わせた“戦争”」を描いていたように、この作品も「善良な人間を冷徹に踏みつぶす“戦争”」を描いているのではないかと。そして、ただその一点へ読者をダイレクトに導くため、余分なものをそぎ落としてシンプルにした結果が、このジムとヒルダのキャラクターなのではないかと感じました。つまりやっていることは、“人間”のアイコン化ですね。
そう考えると、この作品のテーマからして、ジムとヒルダのキャラクターが象徴しているものは人間の“愚かさ”ではなく、むしろ人間の“善良さ”なのではないかと思うわけです。
これはあくまで個人的な推察にすぎませんが、そう見る方が、この作品のテーマがより鮮明に浮き彫りになってくるような気がします。
過去の戦争の思い出
作中、ところどころでジムが過去に体験した戦争について、まるで懐かしい思い出話を語るかのように楽し気に話す場面が出てきます。
そんなジムの話を聞いてヒルダもつられて子供の頃の戦争の思い出なんかを語ったりもしていますが、これについてはどうでしょうか。
まるで戦争を肯定しているようにも聞こえてしまいそうですが、そうではないですよね。
この作品は全体的に見ると「人間」対「戦争」の構図になっているように思われますが、この件については「昔の戦争」対「現代の戦争」の構図になっていると言っていいような気がします。
つまり、過去のアナログな戦争が人の感情とか思いとか、そういった“人間”の姿が見えた戦争であったのに対し、現代の戦争がいかに“人間”の姿が見えず冷徹で不毛なものであるか、といったことを表しているものだと思われます。
まぁ戦争自体がそもそも不毛なものなので、これについてはちょっと違和感を覚える方もいるかもしれませんが、戦争とは言っても結局は人が行っているもので、そこには悲喜こもごも様々な人間の感情やその思いが絡んでいるわけですね。ところが、現代の戦争はそんなものすらない無味無臭な、ひたすら冷徹で残酷なものなんだということを、これよって表現しているのだろうなと感じました。
ジャガイモの袋
理由はよく分かりませんが、ジムが参考にしている政府の手引書に「核爆弾が落ちる前に紙袋に入れ」との記載があるようで、それに従ってジムはジャガイモの紙袋を4つ用意します。
エピソードとしては核爆弾が落とされる前のことで、その時にはジャガイモの袋を被る間抜けなジムとそれを見てツッコむヒルダの掛け合いが笑いを誘うエピソードとして描かれていますが、これが物語のラストにはとても残酷なアイテムとなってきます。
物語終盤、ジムとヒルダの身体は放射能に侵され、誰が見てももうこの二人は助からないと分かるような段になって、二人は思い出したようにジャガイモ袋を被り、シェルターへともぐりこみます。
つまり、この描写によって、ジムとヒルダは“人間”としてではなく、“ジャガイモ”として死を迎えることとなるわけですね。
とてつもなく残酷な描写だとは思いますが、これによって、核戦争というものがこれほど人間の人間としての尊厳すらも踏みにじる悲惨なものなのだということを言わんとしているのだろうと感じました。
色彩の変化
物語の序盤は色彩も鮮やかで、ジムとヒルダの平穏な日常が読んでいるこちらにまで伝わってくるような温かみのある色彩で描かれていますが、物語が進みジムとヒルダの先行きから希望が失われてゆくにしたがって、徐々に温かみのある色が消え失せてゆき、不穏な色彩で全体が満たされてゆくのが本当に恐ろしく感じました。
ここまでこの作品について色々と述べてきましたが、結局この作品を衝撃的で印象的にしているものは、やっぱりこの色彩の演出によるものが一番大きいのだろうなぁとしみじみ思いました。
物語終盤、ジムが歌を歌っている最中に唇から出た血がシャツにつくというエピソードがあり、個人的にはそのシーンがこの作品で一番ゾッとしたシーンでもありますが、これもこの色彩の演出があればこそのインパクトなのでしょうね。